2022/12/1
ある秋の昼下がり、息子と近所の公園に出かけた。
日曜日で小学校も休みである。
台風は過ぎ去り、やわらかい風が葉をなでている。
熱線のようだった日差しも遠のき、高い空に秋の気配が感じられるような、穏やかな陽気であった。
ふと見ると、杭の上にクモが横たわっている。よく見かけるジョロウグモだ。
ピクリとも動かない。どうも死んでいるようだった。
「ふーん、クモが死んでら」と思う。
そのまま行きかけたが、ふと足を止めた。何かがひっかかる。
なぜ、クモはこんなところで死んでいるのか。
巣の上でも、地面に落ちているわけでもなく、杭の上だ。
まるで誰かが置いたかのようだ。

「たいへんだたいへんだあ! クモが死んでる〜!」
息子が大きな声を出す。
近くのベンチで、ご近所のご老人たちが談笑している。息子はご老人たちに訴えた。
「たいへんです〜! クモが、クモが死んでます〜!」
息子は、ふいに道ばたで知った人に出くわしたりすると、うつむいて固まってしまう。
相手が友だちや学校の先生であってさえも、そうなる。
ところが不思議なことに、相手が見知らぬ人だと、愛想よく話しかけるのだ。
その場かぎりの関係ということがわかっていれば、かえって安心するらしい。我が家ではこれを「一期一会のあれ」と呼んでいる。
「え、何? 何が死んでるの‥‥?」
「やあボク、かっこいいシャツ着てるねえ」
ご老人たちは受け答えしてくれる。だが話はまるで噛み合わない。
いきなり見知らぬ子供に「クモが死んでいる」と訴えられても、それは困るだろう。申し訳ない。
ふと見ると、クモの横に羽虫がいる。
真っ黒で地味な風体で、クモよりはるかに小さい。
羽虫は、ふいに飛び立つと、何かを探すように地面をうろつき回る。そしてしばらくするとまたクモのそばに戻ってくる。

ひょっとして、こいつがやったのだろうか‥‥?
ハチの中には「狩りバチ」と呼ばれる種類がいる。
文字通り獲物を狩るハチだ。イモムシ、バッタ、ゾウムシなどに神経毒を注射して麻痺させ、巣穴に運びこんで卵を産みつける。
卵から孵った幼虫は、生きた獲物を糧に成長する。神経を麻痺させられた生き物は、抵抗もできず、生きながら少しずつその身を食われてゆく。地獄の責め苦である。
狩りバチの中には、クモを専門に狩るタイプのものもいる。このジョロウグモはそんな「クモハンター」にやられたのではないか。
しかし、この羽虫はどうだろう。狩りバチの多くは、スリムで、胸部と腹部の間が糸のように細く、優美でサディスティックな外観をしている。だがこの黒い羽虫には、そんな優美さはない。いたって地味で平凡で、人間でいったらマスオさんといった風体だ。
そして、クモに比べるとあまりに小さい。この体ではとてもクモなど運べないだろう。
「血圧高くってさ。昨日測ったの。検診で」
「あらやだ、あたしも下がんないのよ〜薬飲んでるのに」
「それじゃもう酒は禁止だろ」
「でも女房に隠れて昨日飲んじゃった。ビール」
茶飲み話はのんびりと続く。木漏れ日がベンチに揺れる。
子供はクモに飽きて花壇を眺めている。蝶が花に舞い、時折、夏を思い出させるような陽光が雲間から覗く。飛びゆく小虫の羽がきらりと光る。
のどかだ。どこまでものどかだ。
羽虫は何度もクモのそばへ戻ってくる。関心があることにはまちがいないようだ。
それでは、やはりこの羽虫が狩人なのか。
だが、そうだとしたらクモの巣をどうクリアしたのだ。
クモとて優秀なハンターだ。
クモの糸は、同じ太さの鋼鉄をはるかに上回る強度を持ち、その上、ナイロンより伸縮性があるという魔法のような物質だ。
「自在に伸び縮みする鋼鉄」というだけでも驚異的なのに、さらにそれが粘性を持っているのである。この網にからめとられたらまず逃げられない。
クモは数億年にわたる進化の末に、この技を文字通り編み出したのだ。
こんな巧妙な罠の、しかもど真ん中にジョロウグモはいる。どうやったらこいつを捕らえられるというのか。
「あんたいくつになったの」
「七十八」
「じいさまだよねえ」
「お互いさまだよねえ」
どっと笑い声があがる。
子供たちが歓声をあげて駆けてゆく。落ち葉が風に踊る。
狩りバチは、巣にひっかからないように、用心して飛びながら、空中でクモを捕らえるのだろうか。
いや、とても無理だ。飛びながらクモに麻酔注射をし、さらに巣から引き剥がして抱えて飛ぶなど不可能だ。
ジョロウグモが網から降りてくるのを辛抱強く待つとか‥‥。
いや、ジョロウグモは巣を離れたりはしまい。
では一体どうやって。
気がつくと、しゃがみこんでいた。
クモと羽虫から目が離せない。
このまま外界のことを忘れ、ファーブルのごとき集中力をもって観察し続ければ、きっと私もひとかどの人物になれるのだろう。
だが、どっこいこちらは小市民である。人目が気になって仕方がない。
公園の一角でしゃがみこみ、一心に何事かを見つめる中年男。これはまずい。昨今の風潮からするとまごうことなき不審者だ。子供連れのご家族からは、植え込みで幼女を狙う変質者のように見えるのではなかろうか。
だが、大丈夫。こういう時こそ子供が役立つのである。
子供が一緒にいさえすれば「あら、子供と一緒に遊んでいるのね。何ていいパパなんでしょう!」とママさんたちは思ってくれるに違いない。
そう思って後ろを振り返ると、息子はどこにもいない。見ると、はるか遠くで、チョウチョを追いかけている。
こっちこい! 早く! 息子に激しく手招きする。何で肝心な時にいないんだお前はよう。10歳にもなってわーいとかいいながらモンシロチョウ追っかけてんじゃねえ!
息子がこちらを見た。にっこり微笑んで、こちらへ駆け寄るかと思えば、さらに遠くに走り去ってしまった。ばかもん!
「ねえねえ、ちょっと、ほら、アレ」
「ああ、うん、何かさっきからなあ」
「ずっとなのよね‥‥‥‥」
何となく、ご老人たちが私の話をしているような気がする。
通りかかるご家族の視線が、背中を通りすぎる。
ああ、なんと窮屈な世の中であろう。世に天才の現れぬ道理だ。
もう、やめちまおうかな。
職質とかされたら、やだしな。
と、その時、動きがあった。
羽虫がクモを引きずり始めたのだ。
「おお、やはり‥‥!」
やはり羽虫は、狩りバチであった。
狩りバチは、自分の数倍もあるクモをつかんだまま、杭を降りてゆく。
どうしてこんな芸当ができるのか。人間なら、さしずめ力士を背負って絶壁を降りてゆくようなものだ。
狩りバチはそそくさと杭を降り、枝をつたい、葉から葉へと軽やかに飛び移ると、やがて草の陰に消えていった。

風が吹き、葉がざわつく。
気がつくともうそこは、何事もない公園の草むらであった。
ご老人たちが笑い声をあげる。どこからかギターの調べが聞こえてくる。
小鳥がさえずり、小さな虫が羽音をたてて頬をかすめる。
「ねえクモどうしたの〜」
いつの間にか、息子が戻ってきていた。
「ハチが持っていっちまったよ。きっと今頃は穴の中だ」
「ええ、ハチが!」
たいへんだあ〜! ハチが! ハチが!と、また子供が騒ぐ。ご老人たちは苦笑しながら「そうかそうか」と言っている。
「帰ってチョコのパン食べる」
突然、息子が言いだす。
風で落ち葉が裏返るように、突然気が変わるのもこの子の特性だ。
手も口もチョコだらけにしてパンにかぶりつく息子を、ぼんやり眺めながら考える。
それにしても、あの狩りバチは、どうやってクモの巣を回避して、ジョロウグモを狩ったのだろう‥‥?
後日、調べてようやくわかった。
狩りバチは「オオシロフベッコウ」という種類で、クモを専門に狩る「ベッコウバチ」の仲間であった。
オオシロフベッコウは、口からある種の油を出して体に塗る。いわば体全体をコーティングするのだ。
こうしてクモ糸の粘性を無力化して相手に近づき、神経毒で制圧するのである。巣に獲物がかかったかと思いきや、獲物はクモ自身であったのだ。
オオシロフベッコウは麻痺したクモを地上に落とし、巣穴を掘り始める。穴に獲物を運びこみ、卵を産み付けるためだ。
しかしクモを放置しておくと、アリなどに持ち去られる危険がある。それを避けるため、オオシロフベッコウは、穴を掘っている間、アリ除けにクモを高いところに運んでおく。ジョロウグモが杭の上にいたのには、そういう理由があったのだ。
何から何まで計算ずくだ。何と巧妙なことであろう。
生き物たちの、極めて高度な技術には、毎度のことながら驚かされる。
遠く外国の密林でも、海底深くでもなく、ご近所のうららかな公園で、こんなに巧妙な狩猟が行われていると、誰が思うだろう?
そしてこの小さい完全犯罪のような生き物の所業を見つめていたのは、一人の冴えない中年男だけだったのである。
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